人間関係

本当に信頼できる人がいない人に。

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自分を知り、相手を知らなければ信頼は築けない

心理学者の詫摩武俊さんによると、嫌われる要素の第一は、「自信のなさ」であるとい う。

つまり、自分を過小評価しすぎているということである。

過小評価は、謙遜とか謙虚さに通じる。

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また、控えめや慎ましきといった美徳になる。

だが、それが行きすぎると今度は消極的となり、あるいは臆病、卑屈といったマイナス要素になってしまう。

そのために、自分の考えを持たない、常に人に決断力がない不誠実な人間という印象を持たれてしまうことになるかもしれない。

 

つまり、強い人には弱く、弱い人には強いという人間に見えたり、あるいは何を考えているかわからない不気味な人、油断のならない人聞といった印象を植えつけることになる。

本心と行動が裏腹に見えることを面従腹背という。

腹の中では「あのやろう」と思っていても、相手が上司や目上といった立場にある人なら、保身のために、「部長、部長」などと持ち上げておくほうが得策であることが多い。

 

これは、処世術としてしかたがないことであろう。

ところが、人の心がわからない上司は、部下が指一本で「はい、かしこまりました」とおとなしく従ってくれるものだから、自分には権力があると思い込んでしまうことがしばしばある。

ひいては、自分には人徳があり人格的にも素晴らしい人間であると錯覚してしまうこともある。

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そうした悲劇的な人間にならないためには、やはり、自分が今つきあっている相手にとって、好かれる人間なのか嫌われる人間なのかを知っておくことが必要ではないだろうか。

要するに自分の欠点をちゃんとわきまえておくということである。

やたらに増長したり、自慢したりしないということでもある。

 

いってみれば、自分を知り、相手を知るということだ。

これは結局、自分の欠点がどこにあるかを日々把握しておくことに通じるわけである。

しかし、多くの人はなかなか自分の欠点には気づかないものだ。

 

だから、客観的な損得のない立場で注意してくれる人が周囲にいてくれると、非常にありがたい。

だが、権力を持った人にはしばしば見られることだが、自分のいいところを誉めてくれる人は近づけるが、欠点を指摘する人聞は遠ざける傾向がある。

確かに、そういう人聞が周囲にいること は、疎ましいし、気分が悪いものである。

 

しかし、その疎ましきを超えることができなけ れば、その人の発展は期待できないだろう。

食事中に妻が、「あなたは箸の音を立てすぎますよ」と私に注意したことがある。

いろいろ忙しくて疲労がたま っていたのか、虫の居所が悪かったときだったのか、私は「せっ かくおいしくご飯を食べているのに、何ということをいうのか」と腹を立てたことがある。

 

しかし、五分くらいたつと私は反省しはじめた。

確かに、私は大きな箸の音を立ててご飯を食べているかもしれないのである。

人さまの前で無意識のうちに同じことをやっていたかもしれないと思うとゾッとした。

 

そして、注意してくれた妻に、よくぞいってくれたと感謝する気持ちが生じた 。

ただしシャクにさわるから「内心」にであるが。

いつ相手のミスを指摘するか、どの時点で叱るかというのは、夫婦関係でもそうだし、親子関係でも、また上司と部下との関係においても、とても難しい問題である。

 

そして、人間の心理というのは面白いもので、閉じ注意をされるのでも、この人なら聞 けるがあの人なら聞けないということがある。

あるいは、同じ人が人を説得しようとした とき、やり方ひとつで大きな差が生じることもある。

この根本にある相手の心理は、注意 あるいは説得する人に対して「信頼」を持てるかどうかである。

 

すると、日頃から信頼を得られるような関係にしておかないことには、無闇に叱りとばすことは危険だということになるわけである。

叱り方がうまくな ったら、それだけで人聞は人生の達人ということになるのではなかろうか。

 

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